※在宅での吸引に不安を感じたときに読んでほしい
怖くて手が動かない夜に
「吸引しなきゃいけないのに、もし傷つけたらと思うと怖くて……」
そう打ち明けてくれたのは、お母さんを自宅で介護していた娘さん。退院前に説明は受けたはずなのに、いざ吸引を始めようとすると手が震えて止まったそうです。
もし、あなたも「在宅 吸引 不安 対処法」などと検索してこの記事にたどり着いたのなら、それは「誰かを大切に思っている証拠」です。そして、同じように怖さと向き合っている人が他にもいることを、どうか覚えていてください。
このページでは、回復期病棟で日々在宅移行支援をしている看護師の視点から、「吸引が怖い」と感じたときに試してみてほしい、現実的な7つの工夫をご紹介します。
怖さの正体に気づく
なぜ、吸引はこんなに不安になるのか?
吸引への不安の多くは、「失敗したらどうしよう」という責任感からきています。呼吸に関わる行為だからこそ、「自分のせいで何かあったら」と思うと、自然と手がすくむものです。
「もし傷つけたら」「吸いすぎたら」——その不安は、むしろあなたが真剣に向き合っている証です。
どんな背景が、不安を強めている?
- 自分のやり方が正しいか自信がない
- 急を要する場面へのプレッシャー
- 過去に失敗した記憶
- 一人で責任を背負っている状態
不安は、あなたの優しさから生まれています。「失敗しないこと」より、「逃げずに向き合っていること」が何よりも尊いのです。
安心できる準備を習慣に
不安を減らす環境づくりとは?
吸引は、「慣れ」や「手順の確認」でずいぶん違ってきます。以下のような環境を整えてみましょう。
- 手袋やカテーテルなどをワンセットにまとめておく
- 緊急連絡先を見える場所に貼っておく
- 吸引前に、手を洗って深呼吸する時間をつくる
こうした「ルーティン」が、心を落ち着かせる助けになります。
習慣が不安をやわらげる理由
決まった動作があると、判断に迷わず済むようになります。人は「考えすぎる」と手が止まるので、習慣が心を守ってくれるのです。
たとえば:
- 看護師と一緒に流れをシミュレーションしておく
- 決まった時間帯に吸引する
- 視覚的なチェックリストを貼っておく
こうした工夫が、「吸引は特別なこと」から「日常の一部」へと変えてくれます。
不安のピークを乗り越える
怖さで手が止まったとき、どうする?
パニックになりそうなときは、「一度、道具を置いてもいい」と自分に言ってあげてください。
おすすめの対処法:
- 10秒数えるだけでも、呼吸が整います
- 「落ち着いて大丈夫」と声に出すだけで、気持ちが変わります
- 4秒吸って、6秒吐く呼吸を2回くり返してみましょう
焦らず、今の自分を受け止めること。それが、安全な吸引への第一歩です。
夜間など、ひとりでの対応が不安なときは?
- 寝室に手順のメモを貼っておく
- 懐中電灯とティッシュはワンセットにしておく
- 予備の吸引器を確認しておく
- 訪問看護師や医師の番号を、スマホに登録しておく
「備えている」という事実だけでも、安心感につながります。
自信は少しずつ育てるもの
自分を信じるにはどうしたらいい?
介護では、「不安の中でもやってみた」という経験が最大の自信になります。
完璧じゃなくていいのです。「怖い」と感じながらも続けている今のあなたは、もう立派な実践者です。
小さな記録が、次の勇気になる
- 「うまくできたこと」をメモしておく
- カテーテルの挿入感や咳の変化を記録する
- 訪問看護師に「大丈夫でしたか?」と確認する
- 「今日も逃げなかった自分」を心の中で褒める
自己肯定感が上がると、不安は自然と和らぎます。
視点を変えるだけで、怖さはやさしさに
吸引を「ケア」として捉え直す
「また吸引しなきゃ……」ではなく、「この一手間で、呼吸がラクになる」と思ってみてください。
- 呼吸音が静かになる
- 苦しそうな表情が和らぐ
- 夜、ぐっすり眠れる
そうした姿をイメージすると、「怖い手技」ではなく、「支えたい気持ち」に自然と切り替わります。
他の人の声に、勇気をもらう
- 介護コミュニティのSNSで同じ経験を読む
- 家族向けの吸引動画を観る
- 訪問看護師と雑談しながら悩みを聞いてもらう
「私だけじゃない」と思えることが、最大の安心材料です。
まとめ:できた、じゃなく「向き合えた」が一番大切
吸引は、誰だって怖いです。でも、怖くても「やってみよう」と思った、その気持ちこそが一番大切です。
7つの工夫:
- 怖さの正体に気づく
- 整った環境を準備する
- 不安時の対処法を持つ
- 緊急時の備えを見直す
- 習慣化で心の負担を減らす
- 成功体験を積み上げる
- 吸引=ケアという視点に変える
「怖い」と感じたとき、この中から1つだけでも思い出してみてください。
あなたが今日も向き合っていること。それだけで、十分に尊いことなのです。