恥ずかしさは自然です。排泄介護で見えた6つの本音

著者について
  • 看護師7年目
  • 山間地域の退院支援に従事
  • 認知症サポーター研修受講済み
  • 祖母の介護を5年経験
汐です。

「排泄介護って、やっぱりつらいですね…」

これは、あるご家族が控えめに話してくださった言葉です。 回復期病棟で関わる中で、排泄介護に対する不安や戸惑いは、多くの方が口にされる悩みのひとつだと感じています。 特に“羞恥心”や“罪悪感”といった感情が絡むこのケアは、精神的な負担も大きく、ひとりで抱え込んでしまうことも少なくありません。

この記事では、「排泄介護の負担」とどう向き合い、受け入れていくのか、現場で見えてきた6つの本音とともに考えていきます。

完璧を求めず、相手も自分も大切にできる介護を目指すためのヒントが、ここにあります。


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排泄介護の負担とは何か

身体的な負担を知る

排泄介護の中で最も想像しやすいのが、身体的な負担かもしれません。 オムツ交換やトイレ介助、清拭などは、一日に何度も行うことが多く、介助者の体にも大きな負荷がかかります。

私の現場でも、腰を痛めたご家族が「排泄介助だけは無理かもしれません」と涙をこぼされたことがあります。

精神的に追い込まれる理由

排泄という非常にプライベートな行為に関わることは、介護する側・される側の双方に精神的なストレスを与えます。 羞恥心や罪悪感、無力感などが重なり、気づかぬうちに心が擦り減っていくのです。

見落とされがちな経済的負担

排泄ケアには、おむつや防水シーツ、消耗品のコストがかかります。 加えて、頻回な洗濯や清掃の手間も経済的負担に影響します。 意外と見過ごされがちですが、長期化する介護では無視できない問題です。


理想と現実のギャップに気づく

「トイレで」という願いと現実

介護を始めたばかりの頃、多くの人が「なるべくトイレでさせたい」と願います。 しかし、体調や認知機能の変化により、それが難しくなることもあります。

現場では、「こんなはずじゃなかった」と肩を落とすご家族の姿に、何度も出会いました。

時間とともに変化する価値観

最初は強く持っていた理想も、介護が長引くうちに少しずつ変化していきます。 「本人が苦しまないなら、オムツでもいいのかも…」というように、現実を受け入れる準備が少しずつ進むのです。

介護者のストレスに気づく

理想にしがみつくことが、介護者自身のストレスになっていることも。 あるご家族は、「無理してトイレ介助を続けていたら、自分が限界でした」と話してくれました。


排泄介護を受け入れるという選択

“特別”から“日常”へ

排泄介護を“特別なこと”として構えるのではなく、“生活の一部”として受け止める視点が、気持ちを少し楽にしてくれます。 「食事や入浴と同じケアのひとつ」と考えるだけで、負担感が変わることもあるのです。

完璧を手放す勇気

「失敗しないように」「きれいにしてあげたい」という気持ちは自然ですが、完璧を目指しすぎると心が苦しくなってしまいます。

「今日はできなかった。でも、また明日がある」と自分に言ってあげてください。

余白を残すという工夫

介護には余裕が必要です。 “がんばりすぎない工夫”を考えることが、継続可能な介護への第一歩になります。

される側の気持ちにも想像力を

排泄介護を受ける本人も、恥ずかしさや申し訳なさを抱えています。 だからこそ、お互いに“無理しないこと”を許し合える関係性が大切です。


【まとめ】排泄介護と向き合うためのヒント

排泄介護は、身体的にも精神的にも負担が大きいケアのひとつです。 でも、その負担を認め、他者と共有しながら少しずつ受け入れることで、介護の風景は変わっていきます。

以下に、記事のポイントをまとめます。

✅ 排泄介護は「生活の一部」としてとらえる ✅ 完璧ではなく“現実的な最善”を目指す ✅ 経済的・心理的負担も整理して向き合う ✅ お互いに「無理をしないこと」を大切に ✅ 恥ずかしさや罪悪感は自然な感情と理解する ✅ 専門職や他者との共有で、気持ちが軽くなる

読者のみなさんへ。もし今、誰にも言えずに抱えている気持ちがあったら、ぜひコメント欄やSNSでお聞かせください。 あなたの経験が、誰かの助けになります。


トイレ介助

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