「父に酸素をすすめたら、まるで余命宣告みたいだって言われたんです。」
その言葉が、妙に引っかかりました。
看護師として、在宅酸素療法をすすめる場面には何度も立ち会ってきましたが、
患者さんや家族の“構える気持ち”に、私はいつも向き合わされます。
本記事では、酸素療法が「最後の手段」ではなく「生活を支える選択肢」であることを、6つの誤解とともに解き明かしていきます。
迷っている方、断られた方、不安を感じている方。
どんな感情も、そのままでかまいません。
ここにあるのは、選択を後押しするヒントです。
在宅酸素は“終わり”ではない
「もう末期なんですか?」
そう聞かれるたびに、私は説明を始めます。
在宅酸素療法は、呼吸がしづらくなった方が、日常を少しでも快適に過ごすためのサポートです。
決して“最期”のサインではありません。
たとえば、呼吸器疾患で通院されている方が、「動くと息が苦しい」と感じたとき。
これは「軽症」の範囲でも、酸素を補うことで活動量が保てる状態です。
必要なのは、数値よりも「暮らしの目線」から見る判断です。
病状を重く見るのではなく、「どう生きたいか」を基準にした選択が可能です。
「使いたくない」にある本当の理由
導入を拒まれると、多くのご家族が「なんでそんなに嫌がるの?」と戸惑います。
ですが、そこには**“治療”ではなく、“現実を受け入れるしんどさ”**があるように感じます。
ある男性患者さんは、「管が顔にあると、いよいよって感じがして」と話しました。
酸素をつけることが、“弱さ”や“終わり”を示す記号のように映っていたのです。
こうした感情は、誰にとっても自然なこと。
無理に説得せず、「それでも一緒に考えていきましょう」という余白が大切になります。
医師の説明が届いていないことも
医師が話す言葉が、専門用語や検査値に偏ることも少なくありません。
ご本人が「説明されたけど、よく分からなかった」と言うこともよくあります。
私自身、説明の後に「酸素は杖のようなものです」とたとえてお伝えすることがあります。
そのひと言で、「なるほど、それなら使ってみようか」と表情がやわらぐことも。
理解されなかった医療は、受け入れられない医療になりがちです。
伝え方の工夫は、受け入れる余地を広げます。
家族の中で温度差が出ることも
「本人は嫌がる、家族はすすめたい。私は間に立ってるだけで疲れる。」
これはよくある構図です。
誰も悪くないのに、誰かが決断を引き受けなくてはいけない現実。
そう感じてしまうことがあります。
こうしたとき私は、「すぐに決めなくても大丈夫ですよ」と伝えます。
時間をかけて、**「使う・使わない」ではなく、「いつ、どう使えば暮らしが守れるか」**を話し合うことが、納得のある選択につながるからです。
よくある6つの誤解
- 重症じゃないと使わない → 軽症でも必要なことがある
- 一度使うとやめられない → 状況次第で中止も可能
- 火事が怖い → 火気を避ければ事故リスクは低い
- 管理が難しそう → 業者や看護師の支援がある
- 人目が気になる → 携帯型や目立たない工夫も可能
- 自分で決めたくない → 迷っても選択肢は残せる
導入後の「変化」に立ち会って
ある方は、「酸素があると、出かけるのも怖くない」と言っていました。
呼吸のしんどさが軽くなることで、外出する自信や会話の余裕が戻ってきたのです。
また、ご家族から「顔色がよくなって、笑うようになった」と報告を受けることも多くあります。
それは単なる身体の改善だけでなく、本人の“自己肯定感”の回復のように感じます。
最後に伝えたいこと
在宅酸素療法は、暮らしの選択肢のひとつです。
必要なければ使わなくてもいい。
でも、「知らなかったから使えなかった」だけにはなってほしくない。
あなたの「迷い」も、誰かの「拒否」も、そこに意味があります。
選ぶ力を信じて、安心して相談できる環境の中で決めてください。
✅ チェックリスト:この記事のポイント
- 在宅酸素は「終わり」ではなく「支え」である
- 拒否の奥には、感情やプライドがある
- 医療者の言葉は“翻訳”が必要
- 家族内での温度差に悩むのは自然なこと
- 酸素療法には柔軟性がある
- “やってよかった”と感じるケースも多い
- 最終判断を急がず、話し合いを重ねることが大切